『崖の上のポニョ』と『スカイ・クロラ』

やっと『スカイ・クロラ』を見てきた。
個人的にはポニョより、スカイ・クロラの方が好きだ。


崖の上のポニョ』は、メインストーリー部分がどうしても納得いかず、好きになれなかった。
ポニョが宗介を好きというのはわかる。初めてであった人間で、初めて優しくしてくれて、守ってくれるとまで言ってくれたのだから。
そして、自分が成すことがどれだけの影響をもたらすかについて無自覚なまま突っ込むというのも、わかる。
でも、宗介がそんなポニョの一生を受け容れるということに納得がいかなかった。
映画を見ていて、宗介にとってのポニョは、道ばたに泣いていた子猫や、池の端にある蛙の卵や、羽化寸前の蝉の幼虫と同じような存在にしか思えない。最後の宗介のYESという返事は、犬の世話がどれだけ大変かも知らないままにかわいいから飼いたいという決断と変わらないように思える。
ポニョが、5歳の宗介にとって、人生を掛けて良いほど特別な存在だという描写があるようには感じられなかった。
受け容れて欲しいと願うポニョの無謀なほどの純真さはあってもいいのだろうけれど、それを受け容れる側は同じ純真さをもって答えるべきものじゃないように感じた。


スカイ・クロラ』は、何度も繰り返され強調される優一のタバコを吸うシーン、死んだという前任者が優一に似ているという話しだったり、目新しいパイロットに会うことがないというセリフなんかがありながら、新人の新聞を畳む仕草を見て、なんとなくこういうことなんだろうかと気づき始める。
そのまま最後まで行くのかなとおもいきや、最後の30分で、それまで室温で解かしていた氷を一気にバーナーで解かすかのよう説明のセリフと優一ののモノローグが出てくる。
そこで、それまでのいろんなシーンの意味がはっきりわかるようになってゾクゾクする。水素が優一のベッドにいとおしそうに顔を埋める仕草や、撃鉄を握りながらのキスシーンなど。
トレイラーにもあった「君は生きろ。何かが変わるまで」の言葉も、人を縛り付けると同時に希望を与えるような、力強くて、ある意味呪いともなるような重たいもので、とても好きだ。
思い出したのは、カオスの曲線。同じようなところをグルグル回るんだけど、軌跡が重なることはないというやつ。


どこかで退屈っていう感想を見たけど。そんな風には感じなかった。
押井守だからあれでいいんだよ、とかそういう類のものではなくて。ハリウッド映画のストーリーや映像の振れ幅を100としたら、10とか20の小さな振れ幅の中にあるものを楽しむ映画もあるというだけだろう。
これを退屈って言ったら単館映画なんか半分くらい見られないような気がする。
むしろ、最後に言葉でできる限りの説明がされているわけで、かなり親切だと感じた。