アニメにおける制作クレジット

前回、株式会社白組がテレビアニメシリーズ『もやしもん』の制作および製作に乗り出すという話を書いたところ、トラックバックをいただいた。
2Dアニメの部分を外注に出すのであれば、制作してるとは言えないんじゃないか?という内容。


それも一理あると思い、「制作」というクレジットが何を意味するかを少し考えてみた。
結論としては、テレビ局に納品するという最終的な責任を負う会社が「制作」のクレジットを持つのだろうということだ。




前回のエントリの内容としては以下のようなものだった。
白組と言う会社は、CM等で予算を多く使い、時間も多く使って短時間のアニメーション(2D,3D,立体アニメ)の制作に強みがある。テレビアニメシリーズの制作に参入するということで、2Dのアニメの制作については基本的に外注し、3D部分やOP,EDで独自色を出す予定。


それについて、以下のようなトラックバックをいただいた。
『もやしもん』とその制作『白組』の話 - 最初から6番目のスズ木

それって実質作ってないのと同じじゃないのか!?つまり全部下請けに丸投げって事だろう?

全部グロス投げってちょっとアレじゃないか?それは既に白組の作品じゃないぞ……。


たしかになあ。と思うところがあったので考えてみた。
そもそも、自社で制作するというのがどういったことを指すのだろう?
社内でアニメの制作を行っている会社を制作会社というのだろうか?


アニメ制作においては、製作委員会が企画を行い、制作会社に制作を依頼する。
テレビアニメの制作はだいたい次のようなプロセスで行われる(と思う)。
1. 監督や脚本家が相談し、一話分の内容を詰める
2. 監督が絵コンテを描く
3-1. 原画の制作
3-2. 背景画の制作
3-3. 3Dアニメ部分の制作
3-4. 音楽の制作
4-1. 動画の制作
5-1. 色塗り
6. 撮影
7. 納品メディアの制作


この中で、監督や脚本家は、たいていフリーの人間だ。(時には制作会社と専属契約を結んでいる人もいるが)
また、原画を描く人や動画を描く人も、個人事業者として、制作会社に所属しない人が大半。動画や色塗りについては人件費の安い海外への発注も多く、基本的には制作会社の人間ではない。
背景画も同様に、個人事業者や背景画専門の制作会社が担当することが多い。
音楽は、制作会社ではなく、音楽専門の会社・個人が担当する。
撮影は、制作会社が設備を持って行う場合もあれば、撮影設備を持つ制作会社等に依頼する場合もある。
納品メディアの制作や、それに付随する最終チェックはおそらく制作会社で行われる。


これを見ると、制作に関わるほとんどの人が制作会社の外部の者と言えるくらいだ。
制作会社が行う仕事は、社内でアニメを作るというよりも、むしろ、外部の人間を雇い最終的に30分のアニメを完成させるためのマネジメントがメインだと言える。
極端なことを言えば、制作進行1人がいれば制作会社を名乗れるのではないか?とも思える。


製造業のように、工場の中で製品が作られるということがないため、アニメを実際に制作している会社が制作会社だという考え方をすべきではないのだろう。
それよりも、「制作会社」としてクレジットは、そのアニメの出来不出来や期間内に納品することについてすべての責任を負うことを意味するんじゃないかと思った。


グロス請けなどで、1話分の制作を丸々引き受ける場合においても、制作は、そのグロス請けをした会社ではなく元請けの会社がクレジットされる。
そのことからも、アニメの制作について対外的な責任を負うことが、制作会社となるということんじゃないだろうか?


白組については、確かに2D アニメーションを外注するし、ノウハウがないため2D部分の制作プロデュースについても下請け会社に任せるのだろう。
しかし、3D(『もやしもん』に登場する菌がすべて3Dにより制作されるため3D部分の重要性が高い)部分を制作し、最終的な完成したアニメーションの出来や、テレビ局への納品については白組が責任を負うというところから、「制作」のクレジットに値するのではなかろうか?


要は。アニメは様々なひとが関わる総合芸術であって、誰が作ったか、さらに言えばどの会社がつくったのかも明確ではない。
制作者として名乗りを上げる者は、発注者に対して最終的な責任を負う者を言うのだ、と考えるべきだと思った次第です。

追記

おもしろいコメントをくれた方がいました。
http://shiraishi-unso.com/archives/2007/09/29-092836.php

これとは直接関係ないけど
アニメのクレジットって近年だと大抵の人が載るわけで
場合によってはその作品で逃げたりとんでもないことやらかしても大抵記載されるわけで業界入った当初は不思議と思ってたが

「まぁクレジット出すのは半分あてつけもあるんだけどね、さらし首みたいなもんだよ」

という話を聞いてなるほどと思った


クレジットされることが名誉を受ける権利を有すると同時に批判を受ける責任を負うことを意味していて、後者の意味合いが強い場合の話ですね。
ハリウッド映画なんかで、制作時にトラブルがあった場合に監督がクレジットを拒否し、「Alan Smithee」などの偽名が使われるのも、これは自分の作品ではなく責任がとれないという意思表示になりますか。