国民投票法案の最低投票率は必要じゃないの?

最低投票率の規定は有害無益なの?

 憲法改正のための国民投票法案が最近可決された。
 反対派の人の中からは、最低投票率がないなんてダメだという主張が増えてきたようだ。
 それへの反論として最低投票率は有害無益というエントリがあった。

有害無益な「最低投票率」 - 玄倉川の岸辺

護憲派が主張する「最低投票率」には反対する。有害無益としか思えない。

私は、最低投票率が必要だとおもうので、さらにこれに反論してみようと思う。
ちなみに、この方の予想に漏れず、私も憲法9条も変えるべきではないと思っている。

憲法憲法改正の意味

 憲法の意義は、「国」というシステムの仕組みを決めることにある。
 近代国家の最も根本的なことは、民主主義と三権分立だが、これが憲法に規定されている。
 そして、立法、行政、司法の権力を有する者に対して、その権限の範囲を定め、その権力を制限している。憲法とは、国民が遵守すべき者ではなく、権力者が遵守すべきものだ。

 そして、その憲法の改正は、国のあり方を変えるということを意味する。憲法改正は、民主主義や三権分立をも否定する可能性のある行為ということだ。
 もちろん、現在、そんな改正案が国会の決議を通るはずもないし、国民投票で賛成多数となるはずはないだろう。だが、いつそのようなことが起きるかはわからない。アドルフ・ヒトラーは独裁者だが、そのはじまりは民主的な投票制度だった。ユリウス・カエサルも、共和制という民主主義の中から合法的に独裁者となった。今は全くないとは言えるかもしれないが、常にそうだと言い切れるものではない。
 また、憲法改正案は、立法権を持つ国会が国民に提案することになる。これは、権力を制限するための憲法を、権力者が変更することを提案するわけで、権力者と国民という利害対立を考えたとき、その改正案は潜在的に権力者に有利な方向へのバイアスがかかることとなる。

憲法改正国民投票と選挙

 先のエントリの中で、次のような下りがある。

最低投票率に達しなければ廃案とする」のは棄権者の意思を「現状維持」「改正反対」と見なすことだが、妙な考え方である。
棄権とは「どちらでもいい」「おまかせします」であって「反対」ではない。
私の考える「棄権者の意思」を見なす適切なやりかたは
 1・成否どちらであれ選挙結果に従う(勝者に加算)
 2・選挙の得票率に応じて配分する
のどちらかであり、当然ながら投票結果を動かすものではない。

最低投票率の主張は「棄権者は現状維持を望んでいると見なすべき」ということなのだろうが、この考え方を他の選挙に導入するとどうなるか。
最低投票率を50%として、「現職候補50万票・対立候補100万票 投票率45%」の場合、棄権者は現職を信任したと見なして「選挙無効・現職続行」ということになる。それで納得できるのか。

 このエントリを書いた方は、国民投票と選挙を同列に扱っているためこのような結論となっている。
 しかし、憲法改正国民投票と、通常の選挙とは全く意味が違う。
 通常の投票は、現在の国のシステムをどのように運営するかの選択であり、現状維持(現在の議席のまま)とその変更(投票によって議員となるものが変わること)は同等のものだ。そのため、投票棄権についてはどちらの判断も下していないものとして考えることができる。
 それに対して、憲法改正国民投票は国のあり方そのものを問う投票だ。国のあり方を変えることは、極端な例で言えば王権制や独裁制の復活という国民を極端に害する危険があり、また権力者に有利な改正案が出されやすいことを考慮すれば、現状維持を基本として、国民の中から充分な賛成を得た場合にのみ変更が許されるべきものだ。どちらでも良いという判断に対しては、現状維持という結果を返すべきである。


 最低投票率の規定は、投票率が低すぎる場合に少数の賛成で国のあり方を変えられるという危険をなくすために必要だと思う。憲法9条なんて、最低投票率の規定を考える上では小さな話だ。
 この考え方に対しては、そんな可能性の低い危険性ばかりに目を向ける意味などないだろうという反論があるかと思うが、民主主義・三権分立など国の根幹となるシステムは、圧倒的多数を得られないが必要であろうという事項に関する憲法改正の可能性を排除してでも守り通すべきものだと思う。