保険と賭け事

保険は賭け事、という主張

山口揚平の時事日想:生命保険は悲惨なギャンブル――ヤクザのばくち場は、一番公平!? - ITmedia ビジネスオンライン

 保険の正体とは何か。ファイナンス的に言ってしまえば、それは「自分が死ぬほうに賭ける」という意味の賭けである。しかも、死んでしまったほうが勝ちというなんとも悲惨なギャンブルだ。

 つまり私達は保険料を払ったとたん、保険会社という巨大な胴元に手数料を抜かれる、損な賭けに参加したことになるのだ。

生命保険の加入率の高さや、最近の不払い問題について、根本的な問題は日本人のお金に関する知識の欠如にあるとのこと。それは自体は正しいことだと思うけど、「保険は賭け事だ」というその刺激的な言葉は明らかに間違っている。

リスクテイクとリスクヘッジ

賭け事の本質はリスクテイクで、保険の本質はリスクヘッジという真逆の取引だ。


賭け事は、自分が現在持っているお金(資産)をそのまま持っているよりも、損する危険をおかしてでも得ををする可能性がある状態にしたいという、リスクのない状態よりもリスクのある状態を好むことが、賭け事への参加の動機となる。


生命保険の場合は、可能性は低いけれども起きうる突然自分が死んで家族が路頭に迷うことのリスク(自分が死んだ後に稼ぐであろう今後少なくとも数年分の賃金が損失となる)の可能性をゼロにする変わりに、毎月一定額のお金を支払うこと、つまりリスクがある状態よりもリスクのない状態を好むことが、その動機となる。
賭け事との対比でいうのならば、保険に入らず生きていること自体が賭け事に参加している状態なのであって、保険に加入することは賭け事から降りることを意味する。


どちらも、元々の状態から別の状態へと移行させるための労力がかかるので、期待値を比べると何もしない状態に比べて手数料を支払う分、損をすることになる。
1万円を持っている状態の期待値は1万円だが、賭け事に参加したときにその期待値は1万円以下となる。
生命保険の場合は、毎月一定額を支払うことによる支出のほうが、死んで損失を被るという期待値よりも大きい。


生命保険の期待値が低すぎる(日本の生命保険の料金が高すぎる)というのは、保険業界の構造的な問題だ。
大量の営業マン(保険のおばさんとか)を使って、営業を展開することで保険加入率を上げてはいるが、それ以上に人件費(営業費)がかさむため、保険料が高くなっている。
インターネットで保険を販売する場合との保険料率の違いはその人件費が多くを占めるのだとおもう。

保険は賭け事か?

冒頭のリンク先の記事での、保険の本質が賭け事だという見解は間違っている。

ただ、知識の欠如により、生命保険の加入が実質的にリスクテイクの賭け事になっているという指摘であれば、正しいと思う。


理解の欠如と「とりあえずはいっておけば安心だから」と何度も訪ねてくる営業に負けて保険に加入している人は多いのだろう。
よくわからないまま保険に観入することで、自分が死んだときに一番お金持ちになれる、という状況になっているのであれば、それはまさに死ぬという低い可能性が生じた場合に賭けていることになる。
この状態になるのであれば、宝くじやパチンコ、競馬などの賭け事と比較して、どちらが損でどちらが得かという考え方をする余地が出てくる。


しかし、保険を使って、自分が死んだときに得をすることに賭けるということ自体が異常なことだ。
その異常な状態を脱するためには、保険がそもそもリスクをヘッジするものであるという根本的な理解が必要だと思う。